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【時論】6.25は「戦争」ではない

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2009.12.01 13:32
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「壬辰倭乱≠戦争、6.25≠戦争…動乱だ」

東洋的な正名論に基づいて考えれば「言葉(言語)」は単なる意思疎通の手段であるだけではない。

 
それは、つまり道徳的正当性と論理的合理性の上で、深遠な歴史意識まで内包する高度な文化行為だからだ。例を挙げれば1592年、宣祖(ソンジョ、朝鮮の第14代王)25年の壬辰年には、7年間も日本による大きな戦乱に見舞われた。ところが、それを「朝日戦」または「壬辰戦争」とは呼ばなかった。これまでも「壬辰倭乱(文禄の役)」と呼び、そのように記述している。

1627年、仁祖(インジョ、朝鮮の第16代王)5年の丁卯年に後金の侵攻や、1636年の丙子年に清国の侵攻撃もそれぞれ「丙子胡乱」と呼び、「朝・後金戦」や「朝清戦争」とは呼ばない。なぜだろうか。そして、それが現在までも正当性をもつ理由は何だろうか。

「戦」や「戦争」というのはいずれもアイデンティティーをもつ国同士が武力で戦う行為を指す。近ごろの言い方にすれば、互いが堂々と宣戦布告をし、戦闘行為を行うことである。宣戦布告もなく、しかもアイデンティティーもない任意の集団がアイデンティティーのある国家体制に挑戦する行為は「戦争」という名称に該当しない。そうしたものを指して「乱」というのだ。

反対にアイデンティティーのある国家権力がアイデンティティーのない任意集団を戒めて罰する行為を「伐」という。だから共産軍を「討伐」する、蛮夷を「征伐」すると言うものの、共産軍や蛮夷と戦争を行うとは言わない。こんにち英語にはこうした事理の分別がそれほどないためか犯罪とも「戦争」するとし、はなはだしきは麻薬とも「戦争」するというが、韓国語ではこうしたものは「伐」にも該当しないと見て、「掃討」するというのだ。

他国の言葉からも良いものやより適したものは習い、受け入れるべきだが、我々のものより劣るもの、事理にも合わないものまで無条件模倣するのは歴史と文化に罪を犯すことになる。来年(2010年)が「6.25動乱(1950~53年)」の60周年になる年だ。政府も各種の記念式典やイベントを多様かつ積極的に準備していると聞いている。非常によくやっていることだ。

「たとえ世の中が平和でよく治まっていても、常に戦争を忘れてはいけない(天下雖平、不敢忘戦)」。中国・北宋の文学者、蘇軾(号は東坡)の言葉だ。「6.25への戦後世代の正しい認識」や「参戦国との未来志向的な協力関係」に対する大統領の意志が確固たるものだというから、嬉しく思え、感謝の気持ちすら感じる。ところが、各級の検定・認定教科書だけでなく、いまや政府の公文書ですらあらゆるところで6.25を「戦争」と表記しているが、いったいこれはどういうわけなのか。

実のところ、6.25の勃発当時、韓国人はこれを「事変」と呼んだ。不意に「北朝鮮から違法な侵攻(南侵)」を受けたから、そのように呼んだのだ。その後、53年に休戦になると、それまでの諸情況を総合的に検討した末「6.25動乱」と命名するのが最も正しいとし、政府や民間ともにそのように明記してきた。そうしたものが、いつの間にか「韓国戦争」「6.25戦争」に化けてしまった。

それなら「南侵」を挑発した北朝鮮は6.25をどう呼んでいるか。常に「祖国統一聖戦」とし、金日成(キム・イルソン)による南朝鮮への「解放戦争」と公式化している。韓国が6.25を「戦争」と公式化する場合、これは英語の「war」を盲目的に訳し、追従する非主体的妄動となり、北朝鮮の主張と論理に同調して調子を合わせることになってしまう。しかも彼らは今、6.25を「祖国統一に向けた神聖なる戦争」と定義付け、これを韓国側が外国軍まで動員、妨害したと強弁しているのに、韓国がこれを「戦争」と認めるとしたら、今日の為政者らはその結果がもたらす恐ろしい歴史性を考えたことなどあるのだろうか。

洪一植(ホン・イルシク)社団法人・韓国人文社会研究院理事長(元高麗大総長)


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