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【その時の今日】64歳の姜宇奎義士、朝鮮総督に爆弾投てき

2009.09.02 09:59
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3.1運動(日本によって植民支配された韓国で1919年3月1日に広がった全国民の抗日独立運動)は、この地の民衆に国の主人が自分であると気付かせた里程標であった。

 
それらは、ほかの誰かのための臣民ではなく、共和制の民主政府を設ける市民になりたがっていた。その夢は若年層だけのものではなかった。

19年3月26日、ロシア・ウラジオストクで「高齢者同盟団」の結成を主導した高齢者らにとっても祖国の独立はあきらめられない確乎不抜の理想だった。当時、それらは「日本の要人を暗殺する積極的な闘争」が独立を達成できる近道と考え、その責務を担いだ者が64歳の高齢者、姜宇奎(カン・ウギュ、1855~1920)だった。

同年9月2日午後5時ごろ、同氏の手を離れた爆弾1発が斉藤実総督が乗っていた二頭立ての馬車の前で、轟音を立てて爆発した。出迎えた日本の要人でにぎわっていた南大門(ナムデムン)駅構内(現在のソウル駅)の貴賓室周辺は修羅場と化した。標的だった斉藤氏は幸い命を救ったが、37人の死傷者をもたらした同事件で、日本は肝を冷やした。

吹雪が舞った20年2月15日、背が高く、丸い顔に髭を生やした同氏は灰色の上着姿で法廷に入場した。同氏は理由を尋ねる判事の質問に、堂々と所信を語った。

「日本は不意を働き、韓国を兵站(へいたん)した。これは世界の人道が容赦しないだろう。いかにして朝鮮(チョソン、1392~1910年)の国民が、君達の奴隷に服従できようか。日本は朝鮮を支配する能力がなく、いわゆる同和とは幼稚な夢にすぎない」--。

同年11月29日、西大門(ソデムン)刑務所で絞首台の露と消えた同氏の犠牲は無駄なものにならなかった。

「死ぬからといって少しも悲しむな。生涯この世のためにやったことがない方がむしろ恥ずかしい。私が常に忘れずにいるのは青年らへの教育だ。私がこれくらい尽くして死ぬのは当然だ。朝鮮青年の胸に印象を残すことさえできれば幸いだ。快活かつ勇敢に生きようとする十三道(1896年8月から行われた朝鮮の地方行政区画)の朝鮮青年を見てみたい」--。

息子に残した最後の言葉は、同氏が「投弾」義挙で本当に得ようとしたものが何かを良く示している。金益相(キム・イクサン)、金相玉(キム・サンオク)、羅錫疇(ナ・ソクジュ)ら義烈団や、李奉昌(イ・ボンチャン)、尹奉吉(ユン・ボンギル)ら韓国人愛国団の義烈闘争を、いや今日の韓国が存在できるようにした動力の教育熱を、導いたのが同氏の義挙だった。


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