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【コラム】盧前大統領の死…悲しみを昇華させよう

2009.05.25 10:37
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 土曜日午前に伝えられた盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領の逝去に多くの国民は衝撃を受け、悲痛を感じている。本人はもちろん‘廃族’という声が出てくるほど、家族や側近にいたるまで検察の強力な捜査が行われている状況で発生し、「今後受ける苦痛も計り知れない」という遺書の内容を見ると、「政治的他殺」と主張する一部の声も全く根拠がないわけではなさそうだ。

この数カ月間‘包括的わいろ’容疑が‘公訴権なし’になるまで検察と盧前大統領の間であった法理的論争も、今では無意味になってしまった。しかしこれによってもたらされる有形無形の影響は少なくないはずだ。単純に前大統領の悲劇的な終末として片付けるには社会に与えた衝撃があまりにも大きく、政治的にも多くの意味を持つからだ。

 
まず私たちの社会は「元大統領」という貴重な政治的資産を失ったことが挙げられる。一人の個人が大統領に選出されるまで注いだ汗と努力と涙、そして大統領職を遂行する間に築いた業績は、多くの若者の夢と憧れの対象になり、一つの歴史と見なされる。退任後の行跡もその延長線上にあるため、歴史を築くうえで不足はないと考えられる。韓国の場合、浅い民主主義の歴史の中で大統領に関する記録が多くないため、なおさらだ。

盧前大統領の歴史に対する評価は人によって異なるが、少なくない教訓を得ることができる。一部の主張のように‘失われた’歴史と考えるなら同じ失敗を繰り返してはならないという教訓を、反対に‘希望を与えた’歴史と見なすならこれを見習うべきだという教訓を学べるためだ。このように大統領職は教訓としての価値を持つため、政治的に大切な資産であるのは明らかだが、韓国社会はこれを失う国家的な損失を経験したのだ。

次に取り上げるべきことは、今回の悲劇的な事故をきっかけに改憲問題に関する議論が本格的に形成されなければならない、という点だ。盧前大統領だけでなく元大統領らは悲劇的な退任を迎え、退任後に寂しい生活を送っている。これは全面的に憲政構図に起因する。

本来、大統領制は「牽制と均衡」の権力分立を基本原理でするが、私たちはこれを「大統領中心制」に変えて呼び、大統領にすべての権限を集中させている。このため大統領に集中した権力は必然的に周辺人物の不正と専横を招き、新しく権力を掌握した側は自分の執権を正当化する手段として元大統領の不正を利用する悪循環が続いてきたのだ。このように大統領制の原理を無視する非正常的な憲政構造が大統領の悲劇的な末路をもたらすため、今後、根本的な検討が切実に求められる。

盧前大統領という大切な資産を失い、国が大きな悲しみに包まれているが、まさにいま必要なのは成熟した市民意識と政治意識を発揮し、悲しみを昇華させることだ。社会のすべての階層が自らを省察しながら、配慮と包容の精神を発揮しなければならない。お互い指を差し合って批判すれば、盧前大統領の逝去の意味を傷つける結果を招く。何より盧前大統領の悲劇を無駄にしないためには、改憲問題を含め、不正再発防止のための政治改革に参加し、民主主義体制をさらに固めていく必要がある。こうした作業が円満に形成される時、盧前大統領の政治的資産はより貴重なものにアップグレードされると確信する。

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