大衆音楽に対する検閲と統制は日本による植民地時代に遡る。 日本は1909年の出版法以後、歌謡本、音楽公演、レコード、賛美歌までも統制した。 解放後には越北作家の歌に禁止曲レッテルが貼られた。 検閲を制度的に整備したのは朴正煕(パク・ジョンヒ)政府だった。 放送審議とレコード事前審議を並行した。 65年に韓国放送倫理委員会、66年に韓国芸術文化倫理委員会、76年に芸術委の後身である韓国公演倫理委員会が誕生した。 思想不穏、退廃、倭色などの理由で多くの禁止曲が出た。 75年の緊急措置9号直後に222曲が禁止曲になった。